Vanguard氏の覚書

日々雑感。

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欧米が狩猟採集民族で日本が農耕民族という対比の誤り

 よく欧米:狩猟採集民族⇔日本:農耕民族と、対比して話される。
果たしてこれは正しいのだろうか?
 結論としては、先入観としての欧米の狩猟採集民族というのは間違っていて、実際は農耕民族である。

論拠の流れ
 1.民族の分類の確立
→2.現実確認
→3.現実を民族の分類に当てはめるとどんな分類になるか
→4.欧米:狩猟採集民族・日本:農耕民族が正確かどうか
→5.正確化不正確かによって対比することが正しいかどうか→6.対比があってるかあってないならどういう結果になるか   の結論。
以上の流れで進める。
1.基礎知識の確立のため民族の分類し農耕と狩猟採集と遊牧の違いをはっきりとさせる。
2.基礎知識から欧米と日本の過去を確認する。
この際、文明の発達度を一定にするためと分かりやすさのために、欧米はローマ帝国にし、日本は江戸幕府を取り上げる。
(ある時間地点まで集約的な社会の誕生の観点を文明の発達度の基準とすると、欧米だとエジプトやギリシャやアレクサンダー大王当たり、日本だと弥生時代までが大体同じくらいの社会規模とみなせる。
しかし、この視点まで遡ると説明の大変さ(それぞれの社会の説明が大変)なので、あまり遡らないので分かりやすい時間地点を任意に選択した。)
3.2を1に当てはめる
4.3の結果が欧米:狩猟採集民族・日本:農耕民族と同じか違うか
5.対比自体が正しいかどうか
6.実際の現実から結論を導き出す。

 1.基礎知識の確立のため民族の分類し農耕と狩猟採集と遊牧の違いをはっきりとさせる。
そのために、民族を大雑把に分けると三つに分けられる。
Ⅰ.狩猟採集民族:漁をしたり、狩をしたり植物のみを集めたりして、食べ物を得て生活している。
この場合、食料の収穫量は不確か。
食料の収穫方法が、全員で探しに行く。
食料の量が少ないので人口が少ない。
余剰生産した分が無いから全員が、食料調達をするので、技術や軍事や支配の専門家がいない。
例、ニューギニアやしバリアや北極やオーストラリアに住んでる人、石器など使ってる。
Ⅱ.農耕民族:植物(米・麦・とうもろこし)を植えて育てたり家畜(牛・鶏)を養ったりして、コンスタントに食べ物を得て生活をしている。
食料の生産量は一定的である。
食料の生産量が狩猟採集に比べ、10~100倍となるので、養える得る人口が狩猟採集と遊牧民族と比べ格段と多い。
余剰生産で、軍人や職人や支配者層を養っていけるのでシステムさえ作れば近代国家のようなシステムを作れる。
職人さんが頑張ると、鉄を利用したりして槍まで作れるようになる。
人が多いことと食料が保存できる・技術が高いので、軍事力がほかと比べ強い。
また、伝染病などの病原菌は家畜→人の経路で感染する。
よって、伝染病などが何度も発生して、免疫や遺伝子的な抵抗を持つようになった。
なので、ほかと比べ伝染病に格段に強い。
例、最近の国家はほとんどこれ。
Ⅲ.遊牧民族:移動しながら一定の場所を転々とする。
牧畜(牛・羊・山羊)をしてそこから食べ物を得ている。
食料は一定的。
馬を扱えて、弓が強いので強大な軍事力を持つ。
食料と移動生活のため人口が制限されるので、徹底した実力主義・人命尊重。
例、モンゴルやガリア。
 どこもそうだが、歴史順に行くと狩猟採集民族→農耕民族→遊牧民族という順になる。
これは、農耕自体が狩猟採集生活のあとにできたシステムだから。
遊牧は農耕のあとにできた。
なぜなら、農耕が起こって家畜ができたから。
それまでは、家畜が存在せず全てが野生種で人間がコントロール不可だった。
(犬は狼を飼いならし、豚は猪を飼いならして現在のように進化させた)
環境によって遊牧までできるレベルでも民族のあり方は変わる。
(砂漠で農耕の知識があって遊牧するための動物がなければ、狩猟採集民族という形を選ぶ)
 2.基礎知識から欧米と日本の過去を確認する。
(大まかな共通点なんて似たり寄ったりなので、論考も同じ結果)
ローマ帝国編:強大な軍事力と広い支配権と帝国制を行ったことで有名。
強大な軍事力(ローマ歩兵軍団)を持つことの条件は、人口の多さと食料の多さ、技術の高さ。
軍人の存在と人口の多さと食料は、農耕と家畜を飼わないとできない。
広い支配権と帝国制は、軍事力と支配者層システムの確立。
江戸幕府編:支配権は、軍事力と支配者そうシステムの確立。
軍事力は、人口の多さと余剰生産の多さ、技術の高さ。
軍人の存在と人口の多さと食料は、農耕と家畜を飼わないとできない。
 3.2を1に当てはめる
どちらも軍事力と支配者層システムの確立がある。
これらを持つには農耕と家畜を飼わなければいけない。
よって、ローマ帝国と江戸幕府の主要構成要素は、農耕民族である。
 4.3の結果が欧米:狩猟採集民族・日本:農耕民族と同じか違うか
3より、欧米:狩猟採集民族・日本:農耕民族ではなく
欧米・日本ともに農耕民族というのが導かれた。
 5.対比自体が正しいかどうか
4より、欧米日本ともに農耕民族なので、
欧米:狩猟採集民族⇔日本:農耕民族
の対比は間違っている。
 6.実際の現実から結論を導き出す。
実際は、欧米日本ともに農耕民族である。
よって、対比としての欧米:狩猟採集民族⇔日本:農耕民族は間違っており、これを前提条件として論議した場合は結論も間違うようになる。
  1. 2006/06/14(水) 00:22:05|
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  3. | コメント:2

バランスとエネルギー保存則について

 経験則的なものだから、ピーターの法則とかグレアムの法則とかパレードの法則みたいな感じ。
厳密な科学的なものじゃないしなぁ。
「知の欺瞞」かも。

ちょくちょく思っていたのだが
バランスとって見るといろんな物事は中庸になろうとする。
それは、エネルギー保存則があるからバランスが中庸にいくんじゃないかなぁと。

 エネルギー保存則の話。
 それで、エネルギー保存則は有る閉じた系(外部との接続が無いところね)のエネルギーの総量は変わらないというもの。
これは物理学の基礎法則でにもなっている。
というか、これが間違っているなら永久機関が作れる。
 んで、色んな所を見てみるとゼロサムゲームなのでこれ当てはまってるよねぇみたいな。
ということは、ある力がやたら強くなったら総量は一定なのである力で打ち消してやらないと駄目だねぇー。

 バランスの話。
「ある極に至ると中庸に戻るように揺り返しが来てバランスが保たれるように働きかけるような力」がある。
 例えば、凄いポジティブな人がいると逆に周りの人がネガティブになったり、金銭至上主義の人が居れば精神至上主義の人が居たりしてバランスを取ろうとする。

 バランスとエネルギー保存則の話。
エネルギー保存則で総量が決定されているから、べランスが中庸になろうとする力が働くんじゃないか?その結果いろんなところでゼロサムゲームということ。
  1. 2006/06/03(土) 00:46:24|
  2. その他
  3. | コメント:2

インターネット時代の知識(ジェネラリストvsスペシャリスト)

 知識をインターネットから手に入れられる時代に、知識を操るジェネラリストとスペシャリストの相対価値は如何様になるだろうか。
 知識の定義を「使うために理解された知っている物事」とします。
知識は大まかに分けて二つの種類に分類できる。
ジェネラリストの教養的な広く浅い知識と、スペシャリストの専門的な狭く深い知識です。
 ジェネラリストの知識はインターネットから手に入れて使いこなせます。
この手の博学的知識は、一般的に分かりやすいものが多い事と学問的な知識の入り口かトリビア的なものになるからです。
 スペシャリストの知識はインターネットから手に入れても使いこなせないです。
インターネットから数秒で知識を手に入れたとしても、理解できずに使えないので無用の長物と化すのです。
なぜなら、体系的に段階を踏んで理解しないと、使えないからです。
それに、非常に学習コストが掛かりますし、現代はいかなる分野も非常に高い専門知識が役立ちます。
どの分野にも専門家が必要とされてます。
例えば…シュレディンガー方程式やヴィトゲンシュタインの著作を初めて見て理解できるとは思えません。
しかし、インターネットの到来で体系的な知識の学習コストが下がったことは事実でしょう。
 以上の結果から、ジェネラリストの知識が誰にでも身に付くようになると、相対的に地位が下がります。
スペシャリストの地位は、専門化が進むのでこれまで以上に高まります。
となると、これからはスペシャリストが必要になります。

 っと、軽い考察をやってみたが結論がドラッカーと同じになった。
  1. 2006/05/23(火) 23:17:56|
  2. その他
  3. | コメント:2

ハルヒ関連と一緒に…

 ナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」を売ったらいいと思った。
  1. 2006/05/18(木) 22:27:43|
  2. その他
  3. | コメント:2

論理と情緒のちょっとした考察

すべての極論は企みがある
理論の正しさと現実との適合性は必ずしも一致しない
見た目の綺麗さは内部の醜悪さを隠す武器である

 論理と情緒について。
イメージに囚われてないか?
論理が冷徹で冷たい非道なイメージ。
情緒が暖かくて人間的な綺麗なイメージ。
ほとんどの人が見るそのイメージは正しいのか?
少なくとも現実を見るとき、このバイアスが掛かってる気がする。
そういったバイアスをはずして物を見ると、結果は違うものになる。
 それは、少なくとも公の場で行う行為のほとんどは論理的に行ったほうがいいということだ。
私的な行為なら情緒的に行動してもかまわない場面が多いが…。
情緒を重んじる人たちは、今の政府が平安時代みたいに政治をせずに当時の情緒を重んじた宮廷文化の行為だけを行ってもいいのだろうか?
情緒で会社や社会が動いたらどうなるか想像できないのだろうか?
 なぜ今の世の中は論理的な行動が多いのかというと、論理的な行動のほうが情緒を重んじた行動よりメリットがあるからだ。
少なくとも論理の害は少ない。
情緒的に給料が決定される世界よりはね。
情緒で現実が動くことがどれだけあったのか…?
欲望で動く例は数多あるが、情緒なんていう綺麗な概念で動いた例はほとんどない。
浅学非才の身なので間違ってるかもしれないが、歴史を見て情緒で動いてるように見えても内実は利害の一致だったりするのだ。
 この手の議論はTPOも考えたほうがいいと思われる。
公なところと私的なところは、性質が異なる点が多いからだ。
そこら辺も含めて議論を構築すればいいのだが…全てにおいて情緒を優先しろとか全て論理的にとかは極論過ぎて現実から乖離する。
「あるべき姿」を見る前に「今ある姿」をしっかり見れなければどんな理論も机上の空論だ。

 こんだけ書いてきてあれだが、論理と情緒が概念として反対側としてそれぞれいるかどうかと考えると違う気がしてならない。
対立要素として成り立ってない気がする。
前提としてこの二つが概念的絶対値で等価である気がしない。
演繹的な論理に対立するのは、帰納的な経験であって
情緒に対立するのは、理性のほうじゃないかなぁ。
前提条件が間違ってる気がする。
  1. 2006/05/06(土) 22:56:43|
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  3. | コメント:4
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